阪神・淡路大震災から20年と「マッサン」への思い [生活]
今日は阪神・淡路大震災から20年ですね。
震災当時、大阪に住んでおり、高校生だった私は、
夢かと思っていた地震が本当に起きていることが
わかって飛び起き、食器棚から次から次へと
落ちては割れる食器を横目に、倒れそうになっていた
冷蔵庫を両親と必死で押さえていたことを覚えています。
当日は学校の実力テストの日でしたが、
学校に行けなかったことも。。
震災を通して、命の尊さ、そして日々の生活の
有り難さを改めて感じずにはいられませんでした。
そして、いつ何があってもいいように、悔いのないように
毎日を送ることの大切さも。。とても難しいことですが。。
震災で亡くなられた方やその方のご親族の方には
心よりお悔やみ申し上げます。
話は変わりますが、今日のNHKの朝の
連続テレビ小説「マッサン」の、マッサンと鴨居商店の
大将である鴨居欣次郎(サ○トリーの創業者である
鳥井信治郎氏がモデル)とのやりとりが、
私にとってはとても心に残るものでした。
経営者など、組織の上に立つ人間はどれほどの覚悟が必要か、
人の本当の器とは何かを改めて感じました。
私の父もサラリーマンから独立して今の電気関係の
事業を始めましたが、私は小学校の時からお客様の
自宅を訪問したり、留守番したりと両親の仕事を手伝っていたので、
理不尽なことをいうお客様や、それでも頭を下げて
、腸が煮えくり返りそうになるのも抑えて言葉を選んで
お客様へ対応する両親の姿を見てきました。
そのため、今日のマッサンと鴨居の大将とのやりとりは、
重なるものがあったのです。
両親は、家業や家庭を守ること、私を育てることに
どれほどの覚悟をしてきたか、どれほど悩むに悩む
人生の選択をしてきたか。。と改めて有り難さを感じました。
写真は数年前の冬の白浜の千畳敷。
いつ何があるかわからない人生。 私がお世話になっている方や色々なもののお陰で
生きてこのような美しい自然を含め、色んな物を見て
感じれることに感謝して、毎日を悔いのないように
送りたいな。。と思います
震災当時、大阪に住んでおり、高校生だった私は、
夢かと思っていた地震が本当に起きていることが
わかって飛び起き、食器棚から次から次へと
落ちては割れる食器を横目に、倒れそうになっていた
冷蔵庫を両親と必死で押さえていたことを覚えています。
当日は学校の実力テストの日でしたが、
学校に行けなかったことも。。
震災を通して、命の尊さ、そして日々の生活の
有り難さを改めて感じずにはいられませんでした。
そして、いつ何があってもいいように、悔いのないように
毎日を送ることの大切さも。。とても難しいことですが。。
震災で亡くなられた方やその方のご親族の方には
心よりお悔やみ申し上げます。
話は変わりますが、今日のNHKの朝の
連続テレビ小説「マッサン」の、マッサンと鴨居商店の
大将である鴨居欣次郎(サ○トリーの創業者である
鳥井信治郎氏がモデル)とのやりとりが、
私にとってはとても心に残るものでした。
経営者など、組織の上に立つ人間はどれほどの覚悟が必要か、
人の本当の器とは何かを改めて感じました。
私の父もサラリーマンから独立して今の電気関係の
事業を始めましたが、私は小学校の時からお客様の
自宅を訪問したり、留守番したりと両親の仕事を手伝っていたので、
理不尽なことをいうお客様や、それでも頭を下げて
、腸が煮えくり返りそうになるのも抑えて言葉を選んで
お客様へ対応する両親の姿を見てきました。
そのため、今日のマッサンと鴨居の大将とのやりとりは、
重なるものがあったのです。
両親は、家業や家庭を守ること、私を育てることに
どれほどの覚悟をしてきたか、どれほど悩むに悩む
人生の選択をしてきたか。。と改めて有り難さを感じました。
写真は数年前の冬の白浜の千畳敷。
いつ何があるかわからない人生。 私がお世話になっている方や色々なもののお陰で
生きてこのような美しい自然を含め、色んな物を見て
感じれることに感謝して、毎日を悔いのないように
送りたいな。。と思います
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